腸内細菌叢は競走馬のパフォーマンスに影響を及ぼすのか!?
はじめに
競走馬のパフォーマンスは、筋肉や心肺機能だけでなく、消化器官の中に棲む腸内細菌(腸内細菌叢)にも影響を受けることが指摘されています。腸内細菌は、馬の盲腸や結腸において植物繊維を発酵分解し、揮発性脂肪酸(VFA)を生成します。VFAは分子量の小さな脂肪酸で、主に酢酸、酪酸、プロピオン酸が含まれ、馬はこれらをエネルギー源として利用します。また、腸内細菌によってビタミンB群やビタミンKが合成されることも知られており、栄養供給以外にも様々な有益な役割があると考えられています。
ヒトのアスリートにおける腸内細菌叢
ヒトでは「腸活」という言葉に象徴されるように、腸内細菌は健康に大きな影響を与えるとして注目されています。さらに、ヒトのアスリートにおいても、腸内細菌がパフォーマンスに及ぼす影響に関心が持たれ、様々な調査・研究が行われています。腸内細菌叢とは、腸内に棲む何百~何千種類もの細菌の共同体を指します。この腸内細菌叢における菌の種類数の多さは多様性と呼ばれ、単に種類が多いだけでなく、それぞれの菌種がある程度の数存在するときに「多様性が高い」とされます。ラグビーやマラソン選手などのアスリート集団は、一般人と比べて腸内細菌叢の多様性が高いことが報告されています。ヒトの腸内細菌も馬ほど大量ではありませんが、脂肪酸を生産することができます。腸内細菌叢の多様性が高いと、脂肪酸生成の元となる物質の選択肢が増えると考えられています。例えば、細菌の種類が少ない場合は物質Aからしか脂肪酸が生成されませんが、種類が多いと物質Aだけでなく物質Bからも生成できるため、全体としてより多くの脂肪酸が作り出せるという考え方です。また、腸内細菌にはウイルスや病原菌に対抗する免疫的な役割があり、多様性が高いほど免疫力も高まると考えられています。ただし、多様性が高かったからアスリートになれたというわけではなく、むしろ日々の運動や食事を続けた結果、腸内細菌叢の多様性が高まったと考えられます。少なくとも、アスリートにとって腸内細菌叢の多様性が高いことは望ましいと言えるでしょう。一方、特定の腸内細菌がパフォーマンスに影響する可能性を報告した研究もあります。各選手の腸内に棲む特定の菌種(MethanosphaeraやMitsuokella)の数と、酸素の最大取り込み量(VO2max)の間に正の相関関係があったことが報告されました。これは、これらの菌種が多かった選手ほど、有酸素能力が高かったことを示しています。この菌種に運動能力を向上させる機能があると断定はできませんが、腸内細菌とパフォーマンスの間には何らかの関係がある可能性が高まったと言えます。
競走馬に関する研究結果


馬についても、腸内細菌がもたらすパフォーマンスへの影響に関心が持たれ、いくつかの研究結果が報告されています。韓国馬事会(KRA)に所属するサラブレッド競走馬を、独自の競走成績によるレーティングスコアの高いグループ(成績優群)と低いグループ(成績劣群)に分けて糞中の腸内細菌叢を調べたところ、良群は悪群に比べて有意に腸内細菌叢の多様性が高いことが分かりました(図1)。済州馬の競走馬についても同様の結果が得られています。また、当歳時の腸内細菌叢の多様性と、3歳時までのレーティングスコアや獲得賞金の競走成績との間に有意な正の相関があったことが報告されています(図2)。また、当歳時に多様性が低い馬ほど、生涯で呼吸器疾患を発症するリスクが高かったことも示されています。さらに他の研究では、競走馬は他の馬に比べて酪酸生成に関係する細菌の数が多く、これはヒトのアスリートと同様であることが報告されています。この研究では、マウスに酪酸を摂取させたところ、運動能力や骨格筋の機能が向上することが確認されました。このことから、馬においても酪酸を生成する腸内細菌を増やすことがパフォーマンス向上に役立つ可能性があると考察されています。
腸内細菌叢は気性にも影響する
腸は「第二の脳」と呼ばれることがあります。腸と脳は「腸─脳軸」と呼ばれる関係性を持ち、神経系、免疫系、内分泌系が互いに情報をやり取りしています。そのため、腸の状態が脳や感情、行動に影響を与える経路があることが知られています。腸の状態は主に腸内細菌叢の影響を受けます。そのため、腸内細菌叢が間接的に感情や行動に影響を及ぼす可能性があるとして注目されています。最近では、馬においても、腸内細菌叢と気性や行動の関係について研究が行われています。その中で、気性の異なる馬では腸内細菌叢が異なることや、さく癖の有無によっても腸内細菌叢に違いが見られることなどが報告されています。また、濃厚飼料を多く与えられた馬では気性が荒くなることが広く知られていますが、これも摂取する飼料が腸内細菌叢に影響を与えることと関係している可能性があると考えられています。競馬のパフォーマンスには気性が大きく影響すると言われているため、この分野における腸内細菌の役割についても非常に関心が寄せられています。
おわりに
腸内細菌叢はその構成によって競走馬や後期育成馬に有用な効果をもたらす可能性があることから、今後の研究に大いに期待したいと考えています。特に、当歳時の腸内細菌叢が将来のパフォーマンスに影響を及ぼすという研究結果は、「強い馬づくり」のための飼養管理に新しい視点をもたらす可能性があります。一方で、「腸内細菌の研究は、まるで宇宙研究のようだ」と形容されるくらい複雑な分野でもあります。たとえ理想的な腸内細菌叢が解明されたとしても、外部から細菌や栄養源を摂取させるだけでそれが実現できるとは限らず、実際には多くの困難があると考えられています。いずれにせよ、今後の研究の進展が期待される分野です。新たな情報があれば、今後も皆様にお伝えしていきたいと考えています。
日高育成牧場
首席調査役
松井 朗